阪神大震災のとき、、、

たしか18歳だったかな?

よく、みんながいうことだけど、ドゴーンって地から突き上げるような感覚があってそっから揺れがはじまった感じ。

しかし、まず一番におもったこと

「うるせーな あのヴォケ(兄貴のこと)早朝からなにあばれてんねん」っと寝ぼけながらおもった記憶がある。

あとから聞くと兄貴もおなじようにおもってたらしい。

で、そのまままた寝てしまおうとおもったんだけど、本棚は倒れるわ、テレビはテレビ台からおちるわ、、、
こりゃ人間があばれておこる状態じゃねえなーっと思い
ゴジラでもでたか?とか思ったとか思わなかったとか。

普段、みんなの寝室は2階にあったんだけど
そのとき、妹が生まれたばかりで夜泣きが酷かったため、
義母と妹は一階の客間で寝るようになっていた。

まあ、揺れはとんでもなかったけど、ずっと続くわきゃないし、
倒壊しそうになったらダッシュで逃げりゃいいやーって感じで布団にくるまって寝かけた。
そこに部屋のドアがあいて
「○○(モレの名前)、下!! 赤ん坊!!!」っと親父の声が、、、
で、はっと目が覚めて、そっからダッシュ

ベッドから立ち上がって、はしろうとしたときに本当にゆれの大きさを実感する。

モレは当時バスケットボールをずっとやっていたため、ボディバランスがそこそこよかったために揺れにあわせて走って、階段おりることできたけど、驚くべきは親父!!
50歳であの強烈な揺れの中をかけぬけていくさまはまさに父親の強さか。
(ちなみに観葉植物とか倒れまくっててまるでインディージョーンズみたいだったとあとあと表現してました)

で、一階の客間にたどりついて、部屋の中に見てみると義母が妹にかぶさっている。
其の位置が窓際だったので、問答無用で布団ごと部屋の中央に移動させて畳みの上にころがってた坪や絵類を全部廊下に出す。

天井を見上げて、こりゃ天井抜けたらやばいなと思い家の構成を頭に描いてみると、上は兄貴の部屋。
で、↑の家具の配置を思いだしてみて、部屋の真ん中にはとくになにもおいてなかったはずだと思い、真ん中に移動しときゃ大丈夫だろうと確認。
ベッドとかタンスが真上からおちてこなきゃかぶされば大丈夫!ってのがあったのでその位置のまま待機して揺れの収まりをまつ。

ゆれが小康状態になってからTVをつけて情報収集&火の元確認などをする。

そしたら兄貴が眠たそうにのそのそと歩いてきて

「なんや?ゴジラでもでたんかいな」っと第一声・・・コイツ大物だなと思いつつ、考えることは兄弟同じかYOとorz

そこでふと頭によぎったのが、当時の彼女のこと。

宝塚にすんでいたので大阪よりひどい状況なのは明白、
キャー!っと思い電話をかけてみると案の定混み合っててかかりゃしねえw

で、当時はやってたポケベルがあったのを思いだす。

こっちはなんとか通じてメッセージを送ると、無事との連絡がありほっとしたのを覚えていま。

すこしだけ寝てから学校いくべかーってときに、いちおう友達に学校あるかどうか確認しようと電話してみる、
すると

「ちょっとTVつけてみいや、大変なことなってるで? 学校なんてあるわけないやん」

ってことを言われたのでTVつけてみると、ホンマに大変なことに。

オチがあるといえばあるんですが、ちょっと真面目な流れなんで日記では封印しときます。

前置きが長くなりましたが、
阪神大震災を経験したせいか、別ーにこの前の地震自体は震度4か5でしたが、
別になんとも思いませんでした。
なんか、ゆれとるなー程度で。

彼女はおどおどして不安がってましたが、
私自身は普通にガスの元栓しめて、落ちたらあぶないものを下に下ろして、
窓ガラスにガムテープはって(割れたときにとびちらないようにね^^)
あとは「さんまのからくりTV」みて笑ってましたとさ。
チャンチャン

綾さへ

ころさのぁナルを借りてくださいw

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